【キングダム】蕞(サイ)攻防戦

   

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      出典:https://www.amazon.co.jp

蕞(サイ)攻防戦

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忍び寄る恐怖

合従軍(ガッショウグン)が襲来して十五日目が過ぎた。函谷関(カンコクカン)では小規模の交戦があるものの、他の戦場では戦闘も起こらない状況に。その頃、咸陽(カンヨウ)に「華沙城(カサジョウ)に敵襲」の報が入る。さらに咸陽の南にある小城・宗(ソウ)、卵(ラン)も陥落。徐々に近づいてくる敵の姿に恐怖する咸陽(カンヨウ)。敵軍の正体は、李牧(りぼく)率いる別働隊だった。だが、その動きを察知した麃公軍(ひょうこうぐん)と飛信隊(ヒシンタイ)も、李牧軍(リボクグン)の後ろを懸命に追いかけていた。
 

“武神”見参

 
咸陽(かんよう)に迫る李牧軍(リボクグン)。食(ショク)と朗(ロウ)を抜け、咸陽(カンヨウ)まであと二日ほどの距離に到達。だがその背後から麃公軍(ヒョウコウグン)が急襲。李牧(りぼく)は「流動」を操り麃公(ひょうこう)を狙うが、麃公(ひょうこう)は本能で李牧(りぼく)の戦術を見破り、単身李牧(りぼく)のもとに到達。そこに現れたのは“武神”龐煖(ほうけん) 。信(しん)は因縁のある龐煖(ほうけん) を目の当たりにし、麃公(ひょうこう)のもとへ急ぐ。麃公(ひょうこう)は奮戦及ばず龐煖(ほうけん)に敗れるが、死の間際、信(しん)に盾を託し「火を絶やすな」と伝えて散る。
 

大王・嬴政 (えいせい)、立つ

 
麃公(ひょうこう)戦死と龐煖(ほうけん)出現の報が入り、動揺する咸陽(カンヨウ)。民衆の暴動も起こり始め、慌しさがますなか呂不韋(りょふい)は大王の暗殺を企み始める。警戒する昌文君(しょうぶんくん)達をよそに、ひとり昌平君(しょうへいくん)のもとを訪れた
政(せい)。政(せい)は昌平君(しょうへいくん)に呂氏(りょし)四柱ではなく、軍総司令官の意見として咸陽(カンヨウ)の目前にある小さな城「蕞(サイ)」での防衛の可能性を尋ねる。その後、政(せい)はひっそりと王宮から姿を消した。蕞(サイ)にいる一般人を率いて李牧(りぼく)に対抗するため、大王自ら蕞(サイ)へと出陣するために。
 

立ち上がる民兵~1日目~

 
麃公(ひょうこう)を失い、心身共に疲弊しながら蕞(サイ)にたどり着いた信(しん)達を待っていたのは、大王・政(せい)だった。政(せい)は怯える蕞(サイ)の住民をはげましふるい立たせ、李牧軍(リボクグン)との戦闘に備える。やがて到着した李牧軍(リボクグン)と死闘が始まる。多くの死傷者を出しながらも信(しん)達や民兵の奮戦で初日の攻防を乗り切る。だが、李牧(りぼく)は戦いの経験が無い民兵の弱点をつき、形だけの夜襲を行い民兵の疲労を狙う。
 

その頃合従軍(ガッショウグン)では

李牧(りぼく)の作戦を伝え聞いた函谷関(カンコクカン)前の本陣で、秦軍(シングン)を咸陽(カンヨウ)へ向かわせないように牽制。対する秦軍(シングン)も、合従軍(ガッショウグン)の攻撃を警戒して動けずにいた。共に見守ることしかできない状況に・・・。
 
 

終わり無き戦い~2日目~

 
夜襲のせいで疲れが取れないまま、二日目を迎えた防衛戦。それでも昨日の戦いを経て徐々に安定感ある戦いぶりを見せる民兵。だが、南壁の戦いで李牧軍(リボクグン)の将・傅抵(ふてい)とカイネが参戦すると、傅抵(ふてい)の手で飛信隊(ヒシンタイ)の要である田有(でんゆう)、竜川(りゅうせん)が重傷を負う。さらに河了貂(かりょうてん)もカイネに捕らわれかけるが辛うじて救出に成功。今後に不安を残しつつ二日目の攻防が終わる。
 

カイネと河了貂(かりょうてん)

初対面は秦(シン)と趙(チョウ)の戦争の見学中。一時はカイネ達趙軍(チョウグン)に捕らわれた河了貂(かりょうてん)だったが、見逃される。
 
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        二日目も李牧(りぼくぐん)の夜襲は続く。
        その日から政(せい)は民と語り合う。

覚醒する民兵~3・4日目~

三日目以降も、苦しい戦いが続く蕞(サイ)。民兵達の疲労は限界に達し、飛信隊(ヒシンタイ)の各員の動きにも鈍さが見えてきた。だが、政(せい)との語らいを経た民兵の士気は下がるどころかますます高まり、、四方全ての壁で民兵が覚醒し始める。民兵の高すぎる士気の前に、李牧(りぼく)は「王」の存在を疑い始めていた。四日目夜、李牧軍(リボクグン)は本格的な夜襲を開始し蕞(サイ)をさらに苦しめる。
 

露見した秘密~5・6日目~

 
五日目。体力の限界を超えた民兵達に倒れる者が続出する。政(せい)は自ら前線に立ち、刀をふるって兵に激を飛ばす。だが、その様子を見た李牧軍(リボクグン)の将官に狙われ、あわや命を落とす危機に陥る。深手を負った政(せい)だったが、六日目も再び前線へ向かう。予備兵が尽きた蕞(サイ)の民は女子供も弓を取り抵抗を続け、信(しん)も己の力を全て出し切って南壁を守りきる。
 

介億(かいおく)の調整力

 
昌平君(しょうへいくん)の命で増援として派遣された介億(かいおく)。蕞(サイ)が李牧軍(リボクグン)の攻撃に耐えられたのは、政(せい)の激だけではなく、彼の働きも大きい。自陣の兵を東西の壁に送ることにより、蕞(サイ)の防衛線に致命的なほころびができることを防いでいた。
 

終わりの始まり~7日目~

 
七日目。民兵の神がかり的な働きで持ちこたえていた蕞(サイ)だったが、ついにその一角が崩れる。昌文君(しょうぶんくん)の守る西壁が抜かれると、李牧軍(リボクグン)が西門から蕞(サイ)内部へ押し寄せる。民兵の誰もが絶望するなか、信(しん)は西の山を見つめながら、援軍の存在に気付く。その直後、西の山壁から楊端和(ようたんわ)率いる山の民が到着。山の民は蕞(サイ)を囲んでいた李牧軍(リボクグン)を背後から急襲する。
 
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北方の異民族との大遠征を切り上げ、政(せい)の危機に駆けつけた山の民。蕞(サイ)の逆襲が始まる。
 
 

武神、再び

 
李牧軍(リボクグン)相手に存分に暴れまわる山の民。 傅抵(ふてい)達も抵抗を見せるが、戦況は山の民側が優勢に。退却=合従軍(ガッショウグン)の敗北となるため撤退の時期を迷う李牧(りぼく)。そこに再び龐煖(ほうけん) が姿を現すと、圧倒的な武で山の民を蹴散らし始める。仲間の制止を振り切って地上に降りた信(しん)は、龐煖(ほうけん) との一騎打ちに臨む。幾度となく傷を負わされながらも、果敢に喰らいつく信(しん)。ついに深手を負わせて龐煖(ほうけん) を退けることに成功。
 

伏せられていた援軍

 
山の民の増援は完全に李牧(りぼく)の虚をついた。存在こそ知りつつも、政(せい)との関係を知らなかったため彼らが秦(シン)へ協力することは李牧(りぼく)にとって予想外。政(せい)即位後の秦(シン)国内における徹底した情報統制が生んだ奇跡だったといえる。
 

合従軍(ガッショウグン)、完全撤退

 
龐煖(ほうけん) の退却後、李牧軍(リボクグン)の殿(シンガリ)を務めたのは副将・晋成常(しんせいじょう)。山の民への怒りをあらわに徹底抗戦するものの、やがて山の民に討ち取られる。蕞(サイ)から李牧軍(リボクグン)が撤退した後、ようやく落ち着き始めた蕞(サイ)。山の民は再び北方の異民族との戦いへ赴き、政(せい)は咸陽(カンヨウ)へと戻ることに。その四日後、李牧(リボク)が合従軍(ガッショウグン)本陣へ到着し、全軍が撤退。これにより秦(シン)と合従軍(ガッショウグン)の大戦は終結する。
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