【キングダム】の世界を史実から実際にはどんな時代だったのか考察

   

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史実をもとに創造されている。「キングダム」信達が生きた「戦国時代」とは、実際にどのような時代だったのか考察してみた。

 
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紀元前、太古の時代の物語

 
『キングダム』の物語がスタートするのは「戦国時代」と呼ばれる時代の後期あたる。戦乱状態となった春秋・戦国時代は、約500年続き、そんな時代の末期に誕生したのが嬴政(えいせい)である。嬴政(えいせい)は先代までが築き上げた強固な地盤をもとに諸国を制圧し、終らぬと思われた戦国の世を一代で、収束させてみせる。
 
これまでも大陸を支配していた王朝は存在したが、正確に言えば王朝に属さない異民族や村落も点在していた。中華の統一という大業を成したのは、秦(シン)が初めてであったとも言える。
 
 
※嬴政(えいせい)の即位が紀元前246年頃日本はこの頃、「弥生式土器」や「稲作農業」で有名な「弥生時代」の中期ちなみに「三国志」で有名な「三国時代」は秦(シン)の起こりよりも400年以上も後の出来事(220年~)
 
 
争いの年月は百を超えた国々を七国に淘汰した
 
世に言う“戦国七雄”である
 
中華に七人の王が立ち覇を争ったのだ
 
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広大な中華に戦国七雄が各地で勢力を振るい、対立し合う

 
春秋時代の末期、晋(シン)という国が、韓(カン)・魏(ギ)・趙(チョウ)という3つの国に分裂し、正式に諸侯として認められてから秦(シン)に統一されるまでの間を戦国時代と呼ぶ。戦国時代になると弱小国は次々と淘汰・併合され、最終的には7つの強国が大陸を分割支配するようになっていった。これが作中でも言われる「戦国七雄」である。各国はそれぞれが王を自称し、覇権を争いあうようになる。
 
その中でも秦(シン)は強力な中央集権体制により国内の軍事力、生産力を高め、他国を圧倒する存在となっていく。事実、秦(シン)は強国であり、作中で描かれた合従軍(ガッショウグン)以前にも、何度か連合国の侵攻を受け、撃退している記録も残っている。そして『キングダム』でも最大の激戦として描かれた合従軍(ガッショウグン)を蕞(さい)で破ったことを機に秦(シン)は攻勢に転じ、一気に中華統一への道を歩みだすのである。そういった政(せい)の覇道については、これからの物語でたっぷりと描かれていくことになるだろう。
 
六将は、実在した人物をモデルとしている。彼らが他国の城を攻め落とした記録も残る。
 
乱世の時代だけに情勢も刻々とと変化したはず。こういった同盟も数多く結ばれたことだろう。
 

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王弟反乱(信と政、運命の出会い)

 
秦国(シンコク)の片田舎で下僕として日々を過ごしていた信(しん)と親友の漂(ひょう)。ある日、秦王(シンオウ)・嬴政(えいせい)の影武者として漂(ひょう)は
召抱えられるが、王の弟の起こした反乱に巻き込まれて命を落としてしまう。漂(ひょう)の死をきっかけに嬴政(えいせい)と出会った信(しん)は、成り上がって将軍になる
夢を叶えるべく、政(せい)と供に王座奪還を目指す。
 
楊端和(ようたんわ)率いる山の民との協力も取り付け、王の弟成蟜(せいきょう)と反乱の首謀者である竭氏(けつし)一派を一掃。信(しん)は功労として身分と土地を得る。
 
漂(ひょう)を犠牲にした政(せい)に怒りをあらわにする信(しん)だが、政(せい)は信(しん)に選択をつきつけた。漂(ひょう)との夢を叶えるために、信(しん)は政(せい)と歩む道を取る。
 
 

蛇甘平原の戦い(信初陣を勝利で飾る)

 
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身分を捨てたことで正式に徴兵されることになった信(しん)。大将軍・呉慶(ごけい)が率いる魏軍(ギグン)と、蛇甘平原(ダカンヘイゲン)で対峙することとなる。
 
一兵卒ながらもとっさの機転で仲間をまとめ上げると、臨時の騎兵としても、敵陣の奪取に参加。敵の副将・宮元(きゅうげん)を討ち取る要因を作る。その後も、秦軍総大将・麃公(ひょうこう)の突撃に助力し、敵将、麻鬼(まき)を討ち取るなどの功積を上げる。戦い自体は大将同士の一騎打ちを制した秦軍(シングン)の勝利に終わり、魏(ギ)の侵攻を防ぐことに成功した。
 
信(しん)の所属する千人隊の将・縛虎申(ばくこしん)。彼の作戦に抜粋された信(しん)は、見事に役目を果たす。
 
偶然にも目指すべき高み、王騎(おうき)を目の前にし、信(しん)は器の大きさをはかり知れずにいた。
 
 

秦王暗殺計画(多数の刺客が政を襲撃)

 
丞相(じょうしょう)・呂不韋(りょふい)の陰謀で、秦王嬴政(えいせい)を亡き者にすべく多数の暗殺者集団が王宮へと進入。
 
その中には、信(しん)と共に戦った戦友、 羌瘣(きょうかい)の姿もあった。昌文君(しょうぶんくん)一派の有力者が刺客の凶器に倒れるも、信(しん)の活躍もあり、政(せい)の暗殺は未然に防がれる。しかしながら、呂氏(りょし)陣営との対立という問題も表面化していくこととなった。
 
 

馬陽攻防戦(秦の怪鳥、堕ちる)

 
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12万もの大軍で、秦(しん)の馬陽(バヨウ)へと侵攻してきた趙(チョウ)。秦(シン)は総大将に王騎(おうき)を据え、これを迎え撃つ。
 
しかし、敵の総大将龐煖(ほうけん) の圧倒的な武力と趙(チョウ)の援軍・李牧(りぼく)の出現により秦軍(シングン)は窮地に。龐煖(ほうけん) と一騎打ちを繰り広げた王騎(おうき)も致命傷を負い、命を落とす。王騎(おうき)の死を第一の戦功と考えた李牧(りぼく)は撤退する。
 
 

山陽平定戦(廉頗(れんぱ)の猛威)

 
魏(ギ)の要所、山陽を落とすため秦軍(シングン)が侵攻。魏軍(ギグン)は、元趙三大天(モトチョウサンダイテン)・廉頗(れんぱ)が迎撃に出る。秦軍(シングン)の総大将は蒙驁(もうごう。廉頗(れんぱ)に本陣への侵入を許すも、副将・桓騎(かんき)が魏軍(ギグン)の本陣を急襲、陥落させたことで勝利。無事に山陽の地を平定することとなった。
 
 

合従軍襲来(秦国、滅亡の危機!?)

 
山陽を手にしたことにより、各国への侵攻の足がかりを得た秦(シン)。これを危惧した李牧(りぼく)は、楚(ソ)の春申君(しゅんしんくん)と密会し、合従軍(ガッショウグン)
発起人となる。趙(チョウ)・楚(ソ)・魏(ギ)・韓(カン)・燕(エン)・斉(サイ)の六カ国が攻め入ってきたという報は咸陽(カンヨウ)を震撼(シンカン)させ、
国の一大事に戦力の全てが集められる。両軍は函谷関(カンコクカン)を挟んで対峙し、敗れれば秦(シン)の滅亡は必至となる戦いの幕が開こうとしていた。
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