【キングダム】太后(たいこう)後宮最大の権力者にして政の生みの親

      2017/02/22


 

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     出典:https://www.amazon.co.jp

 

みなさん、どうも!
trajirouです。

今回は、年を重ねながらも色あせることなく、魅力たっぷりな美女・大后(たいこう)について考察してみたいと思います。

『なんで反乱を起こしたのか?』

『嫪毐(ろうあい)なる人物は本当にいたのか!』

呂不韋との関係はどうなっていくのか?』

謎多き魅力的な美女大后(たいこう)の秘密に迫ってみたいと思います。

 

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「本当に良いのだな?これより先は後戻りでませぬぞ」

 

欲に溺れた政(せい)の実母

 

先代王・荘襄王(そうじょうおう)の后で政(せい)の母。

歳を取らないと噂が立つほど美しかった。

政(せい)と呂(りょ)陣営が派閥争いを繰り広げていた秦(しん)において、第三勢力である後宮をまとめあげる人物でもある。

後宮と呂(りょ)陣営は互いを取り組みたかったため、太后(たいこう)は呂不韋(りょふい)と密通を交わす。

女盛りの身体を持て余していた太后(たいこう)にとって、政界の派閥争いはかつての愛人の呂不韋(りょふい)を自分に振り向かせる絶好の機会であった。

かくして再び呂不韋(りょふい)と関係を持つことができたが、・・・。

とどまる事を知らない太后(たいこう)の肉欲に呂不韋(りょふい)が代理で送り込んだ嫪毐(ろうあい)とも色欲に溺れた。

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舞妓から呂不韋(りょふい)の許嫁(いいなずけ)、そして王の后(きさき)へ

 

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「美姫(びき)」「邯鄲(カンタン)の宝石」と称されていた。

 

かつては「美姫(ビキ)」と呼ばれた舞妓で、呂不韋(りょふい)の許婚だった。

だが、呂不韋(りょふい)は後の荘襄王(そうじょうおう)子楚(しそ)に美姫(びき)を献上。政(せい)を生む。

王妃となるも、子楚(しそ)と呂不韋(りょふい)が彼女と政(せい)を置いて秦(シン)へ脱出したため、
子楚(しそ)が秦王(しんおう)になるまでの間、世を呪いながら体を売り飢えをしのいでいた。

秦(シン)に戻るまでは趙(チョウ)で虐待される過酷な日々を送っていた。

自分が政治の道具として使われた事に疲れたのか、政(せい)について興味が失せており、
そんなことよりも肉欲を満たす方が大切なようである。

 

国を創るんだ

 

毐国(アイコク)を建国し反乱を起こすも鎮圧される

 

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 壮絶な半生を過ごした太后(たいこう)は毐国(アイコク)で平和な暮らしを望んでいた。

 

しかし、それも長くは続かなかった。

秦(シン)に戻り、王妃、太后(たいこう)となった後は後宮勢力を従えて力を付ける。

2年の沈黙の後(この間に嫪毐(ろうあい)との子をふたり儲ける)、
嫪毐(ろうあい)とともに毐国(アイコク)を建国、秦(シン)に対し反乱を起こす。反乱鎮圧後は王宮の離れに幽閉されることに。

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嫪毐(ろうあい)の反乱は史実にも残っていた!

 

史実によると、太后(たいこう)懐妊してから、嫪毐(ろうあい)は反乱を決意する。

やがて、太后は二人の子供を産みます。

もちろん、父親は嫪毐(ろうあい)という事になります。

いかに、後宮が閉鎖的な場所であっても子供がうろうろしている事まで 隠し通せるようなものではありません。

こうして、嫪毐(ろうあい)と太后(たいこう)の密通は密告として秦王・政(しんおう・せい)の耳に入ります。

政(せい)は動揺しますが、事が事なので探りの者を入れて慎重に対応しようとします。

もはやこれまでと思った嫪毐(ろうあい)は、王の印を盗み出して兵を動かそうとします。

これが嫪毐(ろうあい)の乱として史実に記されているのです。

この反乱が上手くいけば、嫪毐(ろうあい)は、太后(たいこう)との間に生まれた自分の子を 王位に就けて、自分は、首相として国政を操るつもりでした。

しかし、嫪毐(ろうあい)の反乱は失敗におわります。

嫪毐(ろうあい)の反乱は、秦王・政(しんおう・せい)の探りの者からの報告でとっくにわかっていたのでした。

反乱軍は瞬殺されてしまい 嫪毐(ろうあい)は、王の座を狙った大悪人として、車裂きの刑に処せられます。

車裂きの刑とは、首と両手両足を縄で縛り、その縄を五頭の馬につなぎ、合図とともに 馬に引っ張らせるという残虐な処刑法です。

嫪毐(ろうあい)の体はバラバラに引き裂かれて瞬殺されてしまいました。

さらに秦王・政(しんおう・せい)は、太后(たいこう)と嫪毐(ろうあい)の間に生まれた二人の子のも処刑を命じます。

太后(たいこう)は泣いて許しをこいますが、無駄でした。

 

太后と呂不韋はどうなったの?

 

太后(たいこう)は、国母としての立場から何の罪にも課せられませんでしたが、

実の子供と愛人を息子によって処刑された心の痛手は深く、幽閉された後、10年後の紀元前228年、失意の内にこの世を去りました。

嫪毐(ろうあい)を後宮に送り込んだ呂不偉(りょふい)の悪事もばれてしまい、 呂不偉(りょふい)もまた数年後に命を断つ事になります。

 

まとめ

 

男の武器が巨大で強いというだけで史実に名を刻んだ嫪毐(ろうあい)。

しかし、最後には態度をガラリと変え、己の欲望のままに反乱を起したという話しを聞くと、ただの巨根自慢のおバカな人物ではなく、

それなりの魅力があった、 ひと癖もふた癖もある人物ではなかったのかとtorajirouには思えます。

恐らくは、弱きをたすけ強きをくじく気性に富む男気の強い人物とか、旅芸人のような人物ではなかったのかと、この反乱の大胆不適さから想像した事でもあります。

漫画キングダムでは、愛に飢えていた太后(たいこう)を本気で愛し、 子供達を王位に就けて絶望的な未来を変えようとした好人物として、描かれていますが、

『本当の所はどうだったんでしょうかね?』。

おわりー。

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