【キングダム】呂氏(りょし)秦王の座をおびやかす最大勢力の長

   

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出典:https://www.amazon.co.jp

 

この呂不韋(りょふい)は“金”を操って国を治めまする

 

一商人から秦(しん)の丞相(じょうしょう)へ

 

商人の頂点を目指していた呂氏は、趙(ちょう)で後の荘襄王(そうじょうおう)となる子楚(しそ)と出会う。

子楚(しそ)に取り入ろうとした呂氏は全財産を投資し、さらにはいいなずけであった後の太后(たいこう)をも譲り、子楚(しそ)に王位に就かせるかわりに自分を丞相(じょうしょう:現代における国務大臣に相当)にしろと約束させ、見事に王位に就かせることに成功する。

当時の周りの人間は皆、あざ笑っていたというが、呂氏は国盗り最初の賭けにかったのだ。こうして力を付けた呂氏は自身も右丞相(うじょうしょう)となり、荘襄王(そうじょうおう)の死後も強大な勢力を保持。

政(せい)の大王陣営と王宮内で勢力争いを展開することなる。自分の愛人すらも目的のためならば与えてしまうという呂不韋(りょふい)。

行動のすべてが徹底しているが、かつてのいいなずけである太后(たいこう)とは、その後も密通を繰り返していた

 

さらに相国(しょうこく)の地位を勝ち取る

 

一度は失敗するが、太后(たいこう)を味方に付けたことで後宮勢力をも味方にし、さらに陣営を増大させた呂氏は、これまで空席だった大臣の最高職である相国(しょうこく:現代における首相に相当する)の座に登りつめる。

これに対して大王陣営は、反乱以降閉じ込められていた成蟜(せいきょう)を解放し、負けじと呂氏陣営に食らいつく。しかし、これが屯留(とんりゅう)での成蟜(せいきょう)殺害に繋がっていく。

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秦(しん)相国呂不韋(りょふい)の見つめる先は王!!

 

元一介の商人、武器商になった際に、戦を間近で見ながら、武器ではなく金を用いて国を発展させることを思い描く。

その財力と頭脳で秦(しん)の右丞相(うじょうしょう)、さらには相国(しょうこく)まで登りつめた呂氏。富や名声への飽くなき良くは、いまだ尽きることを知らない。

彼の勢力は国内最大規模で、政(せい)率いる大王陣営と権力争いを繰り広げていた。国の中枢を担う人材集めや人脈作りにも余念がなく、秦(しん)を豊かな国にすることで中華の中心にさせたい呂氏。

一方で、戦争は人の営みとしてなくならないとも考えている。そのため、時に危険な手段をとることもあり、現在も己の勢力を拡大させようと、政(せい)の隙を狙っている。

 

外交すら商談のごとく応じる大胆さ

 

呂氏の中では、交渉とは扱う物の大小あれど、すべて商談に等しい。それは国の行く末を担う外交という場においても同じで、趙(ちょう)の李牧(りぼく)を半ば強引に秦(しん)に呼び寄せ、罪をとがめて死をもって償うか、趙(ちょう)の重要拠点の城をひとつダダで引き渡すかという。

およそ他人には真似のできない外交交渉を軍事の昌平君(しょうへいくん)と蒙武(もうぶ)、外交官の蔡沢(さいたく)、法に詳しい李斯(りし)など、そうそうたる面子の目前でやってのけた。

 

秦(しん)の政界最大派閥の長

 

政界で己の力を強固なモノとすべく、派閥を作り、国政を牛耳る地盤固めにも余念がない。呂氏派の人材は軍事、国政、外交、法律の専門家が集められ、特に“呂不韋四柱(りょふいしちゅう)”と呼ばれる人物たちは各分の選りすぐりばかり。

政(せい)の陣営からしてみれば、まさに強大な勢力である。昌平君(しょうへいくん)発案による山陽(さんよう)平定戦に勝利し、東郡(とうぐん)宣言が終った後、太后(たいこう)たち後宮の勢力とも影で手を結んだ呂氏は、自らの意思で相国へと昇りつめた。

しかし、この行動が政(せい)たちに重大な危機感と覚悟を固めさせ、政(せい)は過去の反乱で敵であった成蟜(せいきょう)と同盟を結び、呂氏の敵としていっそう手ごわくなっていく。呂氏の進む先は、王となるか、すべてを失うかのむごくきびしい二者択一の状態となっていく。

 

政(せい)の加冠の儀にクーデターを企てる

 

太后(たいこう)と嫪毐(ろうあい)が毐国(あいこく)独立を宣言するが、呂氏はすでに傘下の者を毐国(あいこく)に忍ばせていた。

彼らがそそのかす形で政(せい)の加冠の儀(かかんのぎ:成人して正式に王に君臨したことを世に示す)を狙って反乱が起きるが、反乱軍が咸陽(かんよう)を攻め入り王族を虐殺したら、今度は呂氏陣営が反乱軍を討ち取り、秦(しん)の王位に自らが就くという王族なき秦(しん)を乗っ取る計画だった。

 

呂氏陣営の崩壊

 

反乱軍が咸陽(かんよう)を攻める中、呂氏は加冠の儀を終えたばかりの政(せい)と会談し、互いの考えが平行線であることを改めて悟る。

だが、呂氏から寝返った昌平君(しょうへいくん)の活躍もあり反乱は鎮圧。呂氏は失脚を余儀なくされる。事件の審議に時間がかかるため処分は未定で、現在、監視付きで行動している。

政(せい)、太后(たいこう)との長年の派閥争いに終止符が打たれ、はじめて賭けに敗れた呂不韋(りょふい)であった。

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