【キングダム】李牧(りぼく)知略と武勇を備えた趙(ちょう)の新三大天

   

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出典:https://www.amazon.co.jp

 

「胸の奥がが痛いですね だから戦はきらいです」

 

趙(ちょう)の「三大天」のひとり。そのさわやかな外見とは裏腹に、類まれなる知能だけでなく、武のオーラもまとう軍略家。馬陽(ばよう)の戦いから1年後には趙(ちょう)の宰相となり、文字通り国を動かす中心人物となった。

さらに各国の間で暗躍し、合従軍(かっしょうぐん)を形成。参謀となり秦(しん)へと攻め入った。

 

無駄な戦を良しとしない

 

並外れた軍略家でありながら必要以上に戦うことを嫌っており、無駄な犠牲者を出さないことを信条としている。

また、小心者ゆえに策に頼っている、と発言したこともある。底の知れなさと器の大きさを感じさせる人物。三大天ながらも決して大物ぶることはなく、馬陽防衛戦では敵国の蒙毅(もうき)や河了貂(かりょうてん)とも気軽に話をしている。

また、龐煖(ほうけん)に胸を刺し抜かれた王騎(おうき)を追撃せずに退却した李牧(りぼく)の判断は両軍の犠牲を最小限に抑えた。

 

中華全土を動かす軍略の才

 

宰相として国政に関わるだけでなく、軍略家としての役割も担っており、その両面から戦略を立てている。

対王騎(おうき)戦では、密かに戦場後方に趙(ちょう)軍を配置し王騎(おうき)を追い詰め、また、呂不韋(りょふい)に咸陽(かんよう)へ呼ばれた際は、同盟を持ちかけて自らの死地を乗り越えた。

このように、常に相手の一歩先を見越す能力を持っており、彼の行動が中華を揺るがすことも。王騎(おうき)と劇辛(げきしん)を倒したことで、その名声は広まり、中華で最も注目される人物となる。

 

味方すら欺く情報操作を仕掛ける

 

趙(ちょう)の北部にて軍を集結させた李牧(りぼく)は、騎馬民族・匈奴(きょうど)を撃破。その情報を、秦(しん)はおろか趙(ちょう)にも隠したまま、軍を馬陽(ばよう)での戦いに横入りさせた。結果、秦(しん)の軍の逃げ場は無くなり、趙(ちょう)は戦いに勝利した。

 

秦趙同盟(しんちょうどうめい)を放棄し合従軍(がっしょうぐん)を作り上げる

 

秦趙同盟(しんちょうどうめい)を受け、秦(しん)は魏(ぎ)に攻め入り山陽(さんよう)を落とす。秦(しん)の中華制覇の意志を読んだ李牧(りぼく)は秦(しん)の侵攻を自業自得としながらも、いち早く楚(そ)の春申君(しゅんしんくん)らと密会する。

秦(しん)の手が中華全土に及ぶと心配した李牧(りぼく)は手遅れになる前に、秦(しん)を潰しにかかる。各国と手を結んだ趙(ちょう)は合従軍を形成。一度は同盟を結んだ秦(しん)へ攻め入ることになる。

 

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私の戦いはあくまで知略によるものです

 

合従軍(がっしょうぐん)を企てた趙(ちょう)三大天

 

類まれな知略を持つ軍略家。知力だけではなく、歴戦の武将たるオーラも放っている。馬陽(ばよう)の戦い以後、宰相(さいしょう)になり国の内政や外交、軍事の主要な案件に携わる。

秦(しん)の中華統一の野望にいち早く気づき、それを阻止すべく各国と手を結び合従軍(がっしょうぐん)を結成。中華全土を揺るがす大戦の火付け役となる。

そして、王騎(おうき)、劇辛(げきしん)を討伐したことで中華でもっとも注目される存在となった李牧(りぼく)は、合従軍(がっしょうぐん)のさんぼうとして大戦の総指揮を任される。

 

別働隊を率い咸陽(かんよう)を狙う

 

楚(そ)の総大将・汗明(かんめい)が討ち取られ函谷関(かんこくかん)突破が難しくなると、別働隊を率い咸陽(かんよう)を目指す。

そして、追撃にきた麃公(ひょうこう)を龐煖(ほうけん)に葬らせ、咸陽(かんよう)の最終防衛地の蕞(さい)にまで迫る。そして、形だけの夜襲をかけ蕞(さい)の民兵たちを震わせていたが・・・。

 

蕞(さい)攻防戦失敗により宰相(さいしょう)を解任される

 

合従軍(がっしょうぐん)の敗北により宰相(さいしょう)の任を解かれる。趙(ちょう)と魏(ぎ)の国境付近の小都市の防衛のための軍に一時、地位・官職をおとされ配置され、民の仕事を手伝ったりしていたが、趙(ちょう)が屯留(とんりゅう)を襲撃する前には宰相に戻る。

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