【キングダム】合従軍襲来編!!

   

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合従軍(がっしょうぐん)襲来

 

安全神話の崩壊

 

始皇六年。秦(しん)の隣国、楚(そ)・趙(ちょう)が怪しい動きを見せる中、秦(しん)国内では宮女の懐妊という慶事で沸き上がっていた。

だが、間もなく秦(しん)と楚(そ)国境にある防衛壁「南虎塁(なんこるい)」を、楚(そ)の大軍が急襲する。王都・咸陽(かんよう)では、南部防衛を命じていた蒙武(もうぶ)、張唐(ちょうとう)の間を抜けられたことに危機を感じ、急ぎ対応策を練ることに。一方、楚(そ)は一路咸陽(かんよう)へ北上を続けていた。

 

迫り来る六国の脅威

 

防衛線を封鎖すべく、全速で楚軍(そぐん)のもとへ向かう蒙武(もうぶ)・張唐(ちょうとう)の両軍だったが、わずかに楚軍(そぐん)行軍速度に追いつくことができずにいた。

その危機を救ったのは、独自の情報網で動いていた騰(とう)だった。騰(とう)は楚軍(そぐん)を一刻でも足止めすることが利になることを理解しており、五千の軍勢で五万の楚軍(そぐん)へと挑みかかる。

十倍の兵力差ながらも奮闘する騰(とう)とその軍であったが、激戦の最中、騰軍の第五軍長・同金(どうきん)が臨武君(りんぶくん)との一騎打ちで命を落とすことになる。

また、東の前線にいた信(しん)率いる飛信隊(ひしんたい)にも対楚(そ)の戦いに向かうように指示が下る。

途中、行軍する魏(ぎ)の軍勢を目の当たりにする信(しん)。信(しん)の拠点が攻略されていく様に、侵攻される恐怖を肌で感じていた。その頃、咸陽(かんよう)には楚(そ)、魏(ぎ)を含めた六国の軍勢による侵攻の報が入る。

 

終結する合従軍(がっしょうぐん)

 

趙(ちょう)の宰相(さいしょう)・李牧(りぼく)の呼びかけで終結した合従軍(がっしょうぐん)は、秦(しん)の重要拠点を陥落させながら咸陽(かんよう)を目指して進軍を続ける。

咸陽(かんよう)では刻一刻と悪化する状況のなか、秦王・政(せい)の檄(げき)ですべての文官が打開策を見出そうと議論を重ね、ようやく五つに一つの勝ち目を見出す。やがて、合従軍は秦(しん)の要衝・函谷関(かんこくかん)へと到達する。

 

函谷函(かんこくかん)攻防戦開戦

 

函谷関(かんこくかん)を挟んで布陣する秦(しん)の軍と合従軍。合従軍の意表をついた麃公(ひょうこう)の突撃で開戦。李牧(りぼく)が全幅の信頼を置く趙軍(ちょうぐん)副将・慶舎は、趙軍(ちょうぐん)の奥深くに入り込んだ麃公(ひょうこう)のはさみ撃ちを狙う。

だが、本能で危険を感じ取った飛信隊(ひしんたい)・信(しん)は、敵軍勢の中を逆走して後方から檄(げき)を飛ばすことで追い込まれた軍の建て直しに成功。勢いにのった麃公(ひょうこう)は趙将(ちょうしょう)・慶舎(けいしゃ)に狙いを定める。

 

函谷函(かんこくかん)を巡る争い

 

趙軍(ちょうぐん)と麃公軍(ひょうこうぐん)が平地戦を繰り広げている頃、函谷関(かんこくかん)には魏(ぎ)の軍勢が迫っていた。高い城壁を盾に、大量の矢を浴びせかける秦軍(しんぐん)。

だが、魏将(ぎしょう)・呉鳳明(ごほうめい)が巨大井蘭車(せいらんしゃ)を投入すると、不倒の城壁に橋がかかり乱戦状態に。さらに二代目の井蘭車(せいらんしゃ)も城壁に橋をかけるが、秦将(しんしょう)・桓騎(かんき)の放った火矢で乗り込んでいた魏兵(ぎへい)もろとも炎上。

だが、開戦初日で函谷関(かんこくかん)に橋がかかった事実は、合従軍にとって大きな一歩に。

 

九万対十五万の激突

 

函谷関(かんこくかん)に向かって左の戦場では、蒙武(もうぶ)・騰(とう)の連合軍九万と楚軍(そぐん)十五万の戦(いくさ)が行われていた。

秦(しん)の蒙恬(もうてん)や楚(そ)の項翼(こうよく)ら、若武者同士が激突する一方、騰軍(とうぐん)軍長の録鳴未(ろくおみ)と鱗坊(りんぼう)は同金(どうきん)の仇を取るべく楚(そ)第一軍の将・臨武君(りんぶくん)と対峙。

だが、鱗坊(りんぼう)は白麗(はくれい)の矢で命を落とし、録鳴未(ろくおみ)も臨武君(りんぶくん)に重傷を負わされてしまう。

その危機に現れたの刃、自ら打って出た騰(とう)だった。激しい一騎打ちの末、臨武君(りんぶくん)を撃破する。

 

躍動する飛信隊(ひしんたい)

 

臨武君(りんぶくん)戦死の報が各軍に広がるなか、麃公(ひょうこう)と趙軍(ちょうぐん)との死闘が続く。異常な戦意で秦軍(しんぐん)に襲い掛かる趙(ちょう)・万極(まんごく)の軍。

その理由は、かつて秦(しん)の六将・白起(はくき)が行った「長平の大虐殺」に由来するものだった。万極(まんごく)と対峙した信(しん)も、彼らの背負う怨念重さを目の当たりにする。

だが、信(しん)は万極(まんごく)との対話のなかで自身の戦う意味を再確認し、ついに万極(まんごく)を打ち破る。

 

過酷な消耗戦(二日目~十四日目)

 

二日目。第一軍の将を失った楚(そ)は、第二軍将・禍燐(かりん)が出陣。元・第一軍に無謀な前進を命じるが、その動きを警戒した蒙武(もうぶ)、騰(とう)は慎重に戦いを進める。

各地の戦場でっも主力を温存した消耗戦が、六日目まで続いた。七日目、函谷関(かんこくかん)へ向けて韓(かん)の本陣が進軍を開始。毒兵器で秦将・張唐(ちょうとう)を攻撃するが速やかに撤退。

その後も十四日を終えるまで、両軍ともに大きな動きを見せず。その夜、主たる将は翌日起こる決戦の空気を肌で感じていた。

 

雌雄決する総力戦

 

各将が決戦と目した十五日目が開戦。両陣営の最大戦力が集った蒙武軍(もうぶぐん)と楚軍(そぐん)の戦いは、左軍を担う将・壁(へき)の突撃から始まった。

楚(そ)の大将軍・汗明(かんめい)が援軍を送った時機を見計らい、蒙武(もうぶ)は斜陣がけを仕掛ける。

斜陣がけとは兵を斜めに動かすことで敵陣に乱れを起こす戦術で、実現が困難なためあまり使われたことの無い奇策中の奇策である。

武一辺倒だった蒙武(もうぶ)が見せた意外な戦術で楚軍(そぐん)を押し込む蒙武軍(もうぶぐん)だったが、兵の数で上回る楚軍(そぐん)が次々と援軍を送り出したことで戦場は大混戦に。

 

若武者たちの奮戦

 

楚(そ)第二軍将・禍燐(かりん)は、戦いの始まりで戦象(せんぞう)を繰り出し騰(とう)の軍を惑わせ、騰(とう)軍本陣の囲い込みに成功。

追い込まれた騰(とう)は陣を離れた千央(せんおう)、録鳴未(ろくおみ)への援軍を諦めて、守備重視の方陣で対抗。さらに左右の守りとして蒙恬(もうてん)と王賁(おうほん)を臨時の五千人将として抜粋。二人は、くしくも同じ一撃離脱の戦術で反撃の糸口を見出そうとする。

 

天才と野盗

 

函谷関(かんこくかん)を攻める魏(ぎ)の将・呉鳳明(ごほうめい)は、初日に送り込んだ巨大井蘭車(せいらんしゃ)に続き、巨大床弩車(しょうどしゃ:巨大な弓矢を射る事ができる装置)投入。

さらに、韓(かん)の将・成恢(せいかい)の毒兵器で弱った中央の張唐(ちょうとう)の軍に三台目の井蘭車(せいらんしゃ)を送り込む。

だが、井蘭車(せいらんしゃ)が張唐(ちょうとう)の軍の陣に橋をかけたと同時に、右翼にいたはずの桓騎(かんき)が姿を現した。

桓騎(かんき)は群がる魏(ぎ)の兵を切り伏せながら、張唐(ちょうとう)とともに井蘭車(せいらんしゃ)を伝って地上へと降り立つと、その足で魏(ぎ)の兵にまぎれながら韓(かん)の本陣をめざす。

 

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少数精鋭部隊の急襲

 

少数精鋭で魏軍(ぎぐん)の内部に侵入を果たした桓騎(かんき)と張唐(ちょうとう)。魏(ぎ)の軍の注目が函谷関(かんこくかん)上部に向いている隙に、矢が乱れ飛ぶ魏(ぎ)の軍勢の中を抜けて韓(かん)の本陣の正面へ到達。

危険を察し、本陣からの離脱を計る韓(かん)の将・成恢(せいかい)の前に、毒で瀕死の張唐(ちょうとう)が現れる。武将らしからぬ成恢(せいかい)の卑怯な戦い方に怒りを燃やす張唐(ちょうとう)。

感情のおもむくまま成恢(せいかい)を両断するが、自らも、直後に力尽きる。そして、桓騎(かんき)が留守の間に桓騎軍(かんきぐん)の持ち場が陥落してしまい壁の上に立つ建物に火を付けられてしまう。

 

強固なる趙(ちょう)の守り

 

乱戦が続く麃公(ひょうこう)の軍対趙(ちょう)の軍。飛信隊(ひしんたい)は幾度となく突撃を繰り返すものの、守備戦を得意とする李白(りはく)の防衛戦を崩せない。麃公(ひょうこう)の命で敵陣近くに築かれた中陣で小休止をとる信(しん)達。

動きの無い戦場に業を煮やした信(しん)は、大将をおとりにして趙(ちょう)の将・慶舎(けいしゃ)を釣り出す作戦を提案。局面打開のため、思い切った策を求めていた麃公(ひょうこう)は即座に了承すると早速作戦行動に移る。

 

消えた王翦(おうせん)軍

 

函谷関(かんこくかん)に向かって右の戦場では燕(えん)の将軍・オルドと秦(しん)の将軍・王翦(おうせん)の戦いが行われていた。

オルドの主力攻撃部隊が王翦(おうせん)の軍の心臓部ともいえる中央砦(とりで)を陥落させると、王翦(おうせん)の軍の本体は姿を消してしまう。

勢いにのるオルドは、主力を連れて函谷関(かんこくかん)の裏に通じる断崖に到着。だが崖越えの途中、消えたはずの王翦(おうせん)の軍が背後から急襲。八千の主力兵を失った燕(えん)の軍は、山砦(とりで)に退却。

 

騰(とう)の窮地

 

禍燐(かりん)の軍に周囲を囲まれ、徐々に疲れが見えてきた騰(とう)とその軍。本陣の騰(とう)が遊撃として動き出すと、禍燐(かりん)は項翼(こうよく)に五千の兵を与え、刺客として送り出す。

項翼(こうよく)が陣の外で騰(とう)を足止めすると、禍燐(かりん)の本軍は秦(しん)の軍の正面に突入。

禍燐(かりん)の本軍に押されて壊滅寸前となるはずだったが、録鳴未(ろくおみ)と干央(かんおう)、王賁(おうほん)による禍燐(かりん)への急襲で危機を脱する。禍燐(かりん)は自分に敵将の目を集めたことを感じると、新たな獲物のもとへ移動する。

 

解き放たれた武

 

騰(とう)の軍と禍燐(かりん)の軍の死闘からさかのぼること二刻(ふたこく)。汗明(かんめい)の軍と対峙する蒙武(もうぶ)軍は、再び斜陣がけで追撃。

左右に重きを置いた第二陣の動きを見て、汗明(かんめい)の軍は援軍を送り込み左右の防備を固める。

突入済みの壁(へき)達の負担は増大したものの、汗明(かんめい)の軍の兵を左右に散らすことに成功した蒙武(もうぶ)は、満を持して自ら五千の兵を率いて攻め込む。

 

中華最強決定戦

 

五千の兵とともに楚(そ)の大将軍・汗明(かんめい)のもとへ向かう蒙武(もうぶ)。途中、汗明(かんめい)並みの巨大な体つきの巨暴騎兵団(きょぼうきへいだん)とぶつかり、兵数を二千程度に減らしながらも、汗明(かんめい)と相対する。

中華最強を自慢する猛将である両者の戦いは、汗明(かんめい)優勢で進行する。そして、お互いの身を削りあう死闘の末、蒙武(もうぶ)が大錘(おおすい)で汗明(かんめい)を叩き潰して決着する。

 

勢いづく秦(しん)

 

蒙武(もうぶ)の勝利は軍の大歓声に乗り、汗明(かんめい)の戦死の報とともに、瞬く間に戦場全体に広がっていく。汗明(かんめい)の死後、隊列を乱した汗明(かんめい)の軍は、蒙武(もうぶ)の軍の追撃で大きな被害を受けて退却。

函谷関(かんこくかん)でもまた、蒙武(もうぶ)勝利の報で、兵の士気は高まるばかり。だが、その一方で密かに移動していた禍燐(かりん)の精鋭部隊五千が、函谷関(かんこくかん)の裏へと到着していた。

 

入り乱れる函谷関(かんこくかん)の裏側

 

函谷関(かんこくかん)裏手では、士気のあがった秦(しん)の軍が正門近くに迫っていた魏(ぎ)の兵を押し返しつつあった。

だが、その背後に禍燐(かりん)が送り込んだ楚(そ)の精鋭部隊が襲いかかる。正門付近は秦(しん)、魏(ぎ)、楚(そ)の兵が入り乱れ、収拾不可能な混戦状態に。

やがて正門をふさぐ巨岩が楚(そ)の兵に撤去され始め、秦(しん)の兵達があきらめかけたその時、楚(そ)の軍の背後から王翦(おうせん)が出現。瞬く間に正門周辺を征圧し、函谷関(かんこくかん)を守りきる。

 

合従軍の退却

 

禍燐(かりん)が開戦二日目から仕込んでいた策は失敗に終った。また、同時に、汗明(かんめい)の敗北が函谷関(かんこくかん)以外の戦場に波及し、戦いの行方は大方決まりつつあった。

趙(ちょう)の軍と麃公(ひょうこう)の軍の戦いは、趙(ちょう)の将軍・慶舎(けいしゃ)が麃公(ひょうこう)の策を見抜いたことで、さらに決め手を欠く乱戦に突入していく。

やがて、燕(えん)を除いた全軍に退却命令がだされ、合従軍は開戦前の位置に撤退。その報を聞いた咸陽(かんよう)の政(せい)と仲間達は喜びに沸く。だが、その夜、これまでの戦いで動くことのなかった李牧が、密かに行動を始めていた。

 

蕞(さい)攻防戦へ続く

 

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