【キングダム】ネタバレ『王弟反乱~合従軍襲来』を史実から考察!

   

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World of キングダム史実考察!

 

史実をもとに創造されている『キングダム』。信(しん)達が生きた「戦国時代」とは、実際にどのような時代だったのか考察してみました。

 

簡易年表

 

紀元前

2070年頃 夏  ⇒中国最古の王朝とされているが実証はされていない。

1600年頃 殷  ⇒史記により実在が確認されている最古の王朝。

1046年頃 周  ⇒殷を倒した王朝。中国文明の源流と言われる。

770年頃  春秋 ⇒周の支配が弱まり、各地で諸侯が乱立する。

403年   戦国 ⇒周王朝の権威が失墜し、小国どうしの争いが激化。

221年   秦  ⇒他国を滅ぼした秦により、大陸が統一される。

206年   漢  ⇒秦が滅び、項羽を破った劉邦が漢の皇帝となる。

西暦

220年頃  三国 ⇒魏、呉、蜀が天下を三分して覇を襲った。

265年頃  晋  ⇒司馬炎が定位を譲り受け晋の皇帝となる。

304年   五胡 ⇒異民族「五胡」が晋を滅ぼす。
     十六国

436年   南北朝⇒大陸の南北を、それぞれ別の王朝が統治。

581年頃  隋  ⇒「遣隋使」などで、日本とも交流が盛んに。

 

時代背景

 

紀元前、太古の時代の物語

 

『キングダム』の物語がスタートするのは「戦国時代」と呼ばれる時代の後期にあたる。戦乱状態となった春秋・戦国時代は、約5百年続き、そんな時代の末期に誕生したのが嬴政(えいせい)である。

嬴政(えいせい)は先代までが築き上げた強固な地盤をもとに諸国を制圧し、終らぬと思われた戦国の世を一代で収束させてみせる。

これまでも大陸を支配していた王朝は存在したが、正確に言えば王朝に属さない異民族や部落も点在していた。中華の統一という大業をなしたのは、秦(しん)が初めてであったとも言える。

 

トピックス

 

●嬴政(えいせい)の即位が紀元前246年頃
●日本はこの頃、「弥生式土器」や「稲作農業」で有名な「弥生時代」の中期
●ちなみに「三国志」で有名な「三国時代」は秦(しん)の起こりよりも400年以上も後の出来事(220年~)

 

大陸情勢

 

広大な中華に戦国七雄が割拠!

 

春秋時代の末期、晋(しん)という国が、韓(かん)・魏(ぎ)・趙(ちょう)という3つの国に分裂し、正式に諸侯としてみとめられてから秦(しん)に統一されるまでの間を戦国時代と呼ぶ。

戦国時代になると弱小国は次々と淘汰・併合され、最終的には7つの強国が大陸を分割支配するようになっていった。

これが『キングダム』の作中でも言われる「戦国七雄(せんごくしちゆう)」である。各国はそれぞれが王を自称し、覇権を争い合うようになる。

その中でも秦(しん)は強力な中央集権体制により国内の軍事力、生産力を高め、他国を圧倒する存在となっていく。

事実、秦(しん)は強国であり、作中で描かれた合従軍以前にも、何度か連合国の侵攻を受け、撃退している史実も残っている。

そして、『キングダム』でも最大の激戦として描かれた合従軍を蕞(さい)で破ったことを機に秦(しん)は攻勢に転じ、一気に大陸統一への道を歩みだすのである。

そういった政(せい)の覇道については、これからの物語でたっぷりと描かれていくことになるだろう。

 

トピックス

 

●六将は、実在した人物をモデルとしている。彼らが他国の城を攻め落とした史実も残っている。
●『キングダム』の作中で秦(しん)と趙(ちょう)が同盟を結ぶ展開があったが、戦乱の世だけに
  情勢は刻々と変化したはず。こういった同盟も数多く結ばれたことだろう。

 

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キングダムネタバレ考察!(王弟反乱~合従軍襲来)

 

王弟反乱

 

信(しん)と政(せい)、運命の出会い

 

秦(しん)の片田舎で下僕として日々を過ごしていた信(しん)と親友の漂(ひょう)。ある日、秦(しん)の王・嬴政(えいせい)の影武者として漂(ひょう)は召抱えられるが、王弟の起こした反乱に巻き込まれて命を落としてしまう。

漂(ひょう)の死をきっかけに嬴政(えいせい)と出合った信(しん)は、成り上がって将軍となる夢を叶えるべく、政(せい)と共に王座奪還を目指す。

陽端和(ようたんわ)率いる山の民との協力も取り付け、王弟成蟜(せいきょう)と反乱の首謀者であった 竭氏(けつし)一派を一掃。信(しん)は功労として身分と土地を得る。

 

トピックス

 

●漂(ひょう)を犠牲にした政(せい)に怒りを向ける信(しん)であったが、政(せい)は信(しん)に、ここで漂(ひょう)の仇討ちをするか、それとも俺と一緒に天下をとるか、という選択をつきつけた。漂(ひょう)との夢を叶えるために、信(しん)は政(せい)と歩む道を取る。

●成蟜(せいきょう)の反乱を無事鎮圧した後、信(しん)と政(せい)はひととき語らい会う。信(しん)は俺は戦場に出て、いっこ一個積み上げて将軍になると政(せい)に話す、この時信(しん)は自分の進むべき道を、見つけていたのだった。

 

蛇甘平原の戦い

 

信(しん)、初陣を勝利でかざる

 

身分を得たことで正式に徴兵されることとなった信(しん)。大将軍・呉慶(ごけい)率いる魏(ぎ)の軍と、蛇甘平原で対峙することとなる。

一平卒ながらもとっさの機転で仲間をまとめ上げると、臨時の騎兵としても、敵陣の奪取に参加。敵の副将・宮元(きゅうげん)を討ち取る要因を作る。

その後も、秦軍総大将・麃公(ひょうこう)の突撃に助力し、敵将、麻鬼(まき)を討ち取るなどの功を上げる。戦い自体は大将同士の一騎打ちを制した秦(しん)の軍の勝利に終わり、魏(ぎ)の侵攻を防ぐことに成功した。

 

トピックス

 

●信(しん)の所属する千人隊の将・縛虎申(ばくこしん)の作戦に選抜された信(しん)は、見事に役目を果たした。

●この戦いの最中、偶然にも目指すべき高み、王騎(おうき)を目の前にし、信(しん)は器の大きさをはかり知れずにいた。

 

秦王暗殺計画

 

多数の刺客が政(せい)を襲撃

 

丞相(じょうしょう)・呂不韋(りょふい)の謀略で、秦(しん)の王・嬴政(えいせい)を亡き者にすべく多数の暗殺者集団が王宮へと進入。

その中には、信(しん)と共に戦った戦友、羌瘣(きょうかい)の姿もあった。昌文君(しょうぶんくん)一派の有力者が刺客の凶刃(きょうじん)に倒れる中、信(しん)の活躍もあり、政(せい)の暗殺は未然に防がれる。

しかしながら、呂氏陣営との対立という問題も表面化していくこととなった。

 

トピックス

 

●先の戦いで、仲間であった羌瘣(きょうかい)と刀を交える信(しん)であったが、実力には圧倒的な開きがあった。

●秦王・政も自ら刀を取り刺客を返り討ちにするシーンもあった。

 

馬陽防衛戦

 

秦の怪鳥、堕(お)ちる

 

12万もの大軍で秦(しん)の馬陽(ばよう)へと侵攻してきた趙(ちょう)。秦(しん)は総大将に王騎(おうき)を据え、これを迎え撃つ。しかし、敵の総大将龐煖(ほうけん)の圧倒的な武力と趙(ちょう)の援軍・李牧(りぼく)の出現により秦(しん)の軍は窮地に追い込まれる。龐煖(ほうけん)と一騎打ちを繰り広げた王騎(おうき)も致命傷を負い、命を落とす。王騎(おうき)の死を第一の戦功と考えた李牧(りぼく)は撤退する。

 

トピックス

 

●かつての因縁をもつ者、王騎(おうき)と龐煖(ほうけん)の再戦となった今回の一騎打ちだったが、決着は意外な形で訪れた・・・。

●蛇甘平原(だかんへいげん)で武功を上げ、一気に百将の位を得た信(しん)は馬陽(ばよう)の戦いでは率いる部隊に王騎(おうき)から「飛信隊(ひしんたい)」と命名され、戦いの後には三百人将へと昇格する。

 

山陽平定戦

 

廉頗(れんぱ)の猛威

 

魏(ぎ)の要所、山陽(さんよう)を落とすため秦(しん)は軍を侵攻させる。魏(ぎ)は元趙三大天(ちょうさんだいてん)・ 廉頗(れんぱ)が迎撃に出る。

秦(しん)の軍の総大将は蒙驁(もうごう)。廉頗(れんぱ)に本陣への侵入を許すも、副将・桓騎(かんき)が魏(ぎ)の軍本陣を急襲、陥落させたことで勝利。無事に山陽(さんよう)の地を平定することとなった。

 

トピックス

 

●この戦いで信(しん)は輪虎(りんこ)に一騎打ちを挑み討ち取ったことで廉頗(れんぱ)の怒りをを買う。強烈な大将軍の一撃を全身で受けることになった。

●武功を上げたことで飛信隊(ひしんたい)は千人隊となり、河了貂(かりょうてん)が軍師として参加し、戦術面での不安も払拭された。

 

合従軍襲来

 

秦国、滅亡の危機!?

 

山陽(さんよう)を手にしたことにより、各国への侵攻の足がかりを得た秦(しん)。これを危惧した李牧(りぼく)は、楚(そ)の春申君(しゅんしんくん)と密会し、合従軍の発起人(ほっきにん)となる。

趙(ちょう)・楚(そ)・魏(ぎ)・韓(かん)・燕(えん)・斉(せい)の六国が攻め入ってきたという報は咸陽(かんよう)を震撼させ、国の一大事に戦力のすべてが集められる。両軍は函谷関(かんこくかん)を挟んで対峙し、敗れれば秦(しん)の滅亡は必至となる戦いの火蓋が切って下ろされる。

 

トピックス

 

●王宮では絶望感が漂う。合従軍の標的となれば一溜まりもない・・・。その時、「戦うぞ!!」と政(せい)の檄が飛んだ。

 

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