【キングダム】対趙攻防戦で陽端和(ようたんわ)と龐煖(ほうけん) が対峙!?

   

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出典:https://www.amazon.co.jp

 

対趙(ちょう)との一大決戦が始まり、人気沸騰中の漫画キングダムですが、陽端和(ようたんわ)と龐煖(ほうけん) が剣を交えたという話しは、まだないようですね。

合従軍(がっしょうぐん)の襲来で、別働隊が蕞(さい)に侵攻したときも山の民の軍団と趙(ちょう)の軍は対峙しましたが、龐煖(ほうけん)と戦ったのは麃公(ひょうこう)と信(しん)でした。

しかし史実を見ると今回の対趙戦で陽端和(ようたんわ)は大活躍していますので、今後、陽端和(ようたんわ)対龐煖(ほうけん)の一騎打ちといた展開もあり得るかもしれませんね。

そこで今回は陽端和(ようたんわ)と龐煖(ほうけん)を詳しく考察しながら、今後のキングダムの展開について予測していきたいと思います。

 

「王座奪還の際、王宮は血の海になるやも知れぬが構わぬか?」

 

山の民は荒々しい戦闘集団としてその名を隣国に知らしめていた山界の民族です。秦(しん)の国に面した西側の山中の断崖絶壁に城を構えています。

様々な部族の寄せ集め軍団で、それぞれが形の違う強面の仮面をつけています。武器は単純なものが多いが、崖に王国を築く術をも持っています。

 

キングダム楊端和(ようたんわ)

 

武力  95

指揮力 99

知力  96

経験値 S

美貌で敵を殺す

 

数百年ぶりに山界を統べた王

 

幾つもの山界の部族を束ねる王。女だてらに山界一の武力を誇り、山の民の間では「血に飢えた死王」との異名をもつ。

陽端和(ようたんわ)が王として君臨してからは、山の民はその勢力を強め、その軍団は数十万の兵力に等しい力を持つと推定されると、秦(しん)の文官の間でも噂となった。

 

大胆な性格だが情に厚い一面も

 

色白の美人ではあるが、冷静かつ強い性格。言動は常に直球勝負、誰に対しても回りくどい物言いはしない。

また、情に厚く、心を許した仲間に対しては、自分命すら投げ出して守るといった、勇敢な一面と、何者にも屈しない強い自信を重ね持つ。そのため山の民からはとても慕われている。

 

山の民の勢力

 

時は春秋戦国時代、数百年の間、幾つもの国に別れ戦いを繰り返していた時代。山界でも同じように戦を繰り返していたが、楊端和(ようたんわ)は、それを武力で制していった。

しかし、次つぎと長さを増していく防御壁や城壁を目にするたびに、国の狭さを悲観していた。

武力でも同盟でもいい、もっと国を広くしたいという熱き思いを胸に抱いており、ゆえに政(せい)の中華統一の熱き思いに志を同じくしたのだ。

 

政(せい)の申し入れを受け成蟜(せいきょう)討伐戦に加わる

 

もともとは、訪ねてきた政(せい)を祖の恨みをはらすために斬首に処すつもりだった楊端和(ようたんわ)。

だが、政(せい)の中華統一への熱き思いに志を同じくし、400年前、秦(しん)と山の民との間で結ばれていた盟を復活させた。

そしてその同盟の証として、政(せい)と共に、攻め入った咸陽(かんよう)では、苦戦を強いられながらも王弟一派を討伐し、政(せい)の陣営として大きな功積残した。

 

李牧(りぼく)の存在を政(せい)に知らせる

 

成蟜(せいきょう)の反乱を制した後、楊端和(ようたんわ)は政(せい)と定期的に伝者を送るとし、咸陽(かんよう)を去った。

そして、その後1年くらいの間は、山界での勢力拡大に没頭し、秦(しん)の西側の山界は楊端和(ようたんわ)によて武力で統治されるにいたった。

その後北に進撃することにした楊端和(ようたんわ)は、秦(しん)の北方の騎馬民族・匈奴(きょうど)の軍と戦うつもりでいたが、その場には10万を超える戦死した兵の遺体が転がっていた。

まだ息のあった兵から事情を聞いてみると、趙(ちょう)の怪物軍師、李牧(りぼく)という人物が匈奴(きょうど)の軍を壊滅させたとのことだった。

その事実を咸陽(かんよう)に知らせるため楊端和(ようたんわ)は直々に参上した。

 

黙って貴様らは敗者として史に名を刻め

 

山界を統べる山の民の王

 

秦(しん)の西側にそびえる山中で、幾つもの部族を、女ながら若くして武の力で統治するようになった王・陽端和(ようたんわ)。

山の広さには限界があると感じており、中華統一を成し遂げ国境を取り除こうと奮闘する政(せい)の野望に心を同じくし、秦(しん)の危機をたびたび救っている。

 

蕞(さい)の攻防戦で合従軍(がっしょうぐん)を撃退

 

成蟜(せいきょう)の反乱後は、北に進軍し匈奴(きょうど)に侵攻する。その後北の大部族・バンゴと闘っていた陽端和(ようたんわ)だったが、

合従軍(がっしょうぐん)の襲来で別働隊が蕞(さい)に侵攻、秦(しん)に滅亡の危機が迫る中、そのことを知った楊端和(ようたんわ)は戦を休戦し蕞(さい)の城へと向かう。

楊端和(ようたんわ)率いる山の民軍団の急襲により合従軍(がっしょうぐん)は敗北し、秦(しん)の民たちは山の民に救われ、大いに感謝する。

 

秦(しん)の大将軍となり衍氏(えんし)の城を落とす

 

蕞(さい)を救ったことで、論功行渉で大将軍と位を同じくする大上造(だいじょうぞう)の肩書きを授かった楊端和(ようたんわ)は秦(しん)の見方にすら気配を悟られぬまま、

魏(ぎ)の衍氏(えんし)の城を巧みな攻城戦で攻め落とし、大将軍と席を並べてもおかしくないほどにその能力を延ばしてきた。

 

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キングダム龐煖(ほうけん)『貴様が本物かどうかこの私が判断するだけだ。』

 

武力  100

指揮力 皆無

知力  馬鹿ではない

武神度 100

経験知 B 

 

自称武神(ぶしん)という三大天のひとり

 

突如現れ圧倒的武力を誇る「三大天」のひとり。

自らを「荒ぶる神を宿した武神」と称していたが、かつて摎(きょう)を討った後、追撃してきた王騎(おうき)に斬られ、深い傷を負う。それでも、強い復讐の念を抱きつつ生き延びていた。

強き者を倒すことだけを生きがいとし、倒した敵が神への供え物になるという考えを持っている。そして羌瘣(きょうかい)に強きものの気を感じ、ひとりで敵陣に殴り込みをかけ戦いを挑んだ。

 

李牧(りぼく)の要請を受け燕(えん)を撃破

 

山陽(さんよう)平定戦後は山に引きこもっていたが、趙(ちょう)が燕(えん)と戦うことになり、李牧(りぼく)から呼びかけられ再び趙(ちょう)の総大将として出陣する。

燕(えん)の将軍・劇辛(げきしん)と直接相対するが、山にこもり修行を詰んでいた龐煖(ほうけん) に適うものはいなかった。

その後龐煖(ほうけん) は王騎(おうき)の強さがなんだったのか知るため合従軍(がっしょうぐん)に加わわる。

 

強い者だけを求める龐煖(ほうけん)

 

総大将という重役にありながら、軍を率いているという意識はまったくない。単独で行動し、秦(しん)の夜営を襲撃するなど、戦場においても個として行動する。

戦が無ければ山中にこもり、修行と称してひたすら武力を磨いている。修行が極みに達したときには人前に姿を現し、自分と戦うに値する者を探し求める。

 

武神が舞い降りる神がかりな戦い

 

蚩尤(しゆう)の間で伝説と呼ばれる「武神(ぶしん)」という人物で、呼吸を無限に持続させ気を操ることができる。対峙する者の能力を存分に引き出してからの戦いを好む。

 

さらに、怒りが力となると考えており、かつて斬り捨てられた王騎(おうき)への怒りがそのまま力の原動力になっている。王騎(おうき)との一騎打ちでは勝利したものの、横槍が入ったことに納得はしていなかった。

 

蕞(さい)攻防戦で麃公(ひょうこう)を討ち取る

 

合従軍(がっしょうぐん)では李牧(りぼく)の別働隊と行動を共にし、追撃に来た大将・麃公(ひょうこう)と一騎打ちとなる。

麃公(ひょうこう)の腕を斬り落とし重傷を負わせるが、片手で首を斬ろうとする麃公(ひょうこう)の一撃は防ぐが左腕を折られた。

 

信(しん)とも戦い傷を負う

 

蕞(さい)での戦いの終盤で信(しん)と龐煖(ほうけん) は一騎打ちとなり、信(しん)を圧倒するが満身の力を振り絞った信(しん)の刃に力負けしてしまい、よろけたところを信(しん)に胸を貫かれる。

傷を負いながらも信(しん)と戦おうとするが、晋成常(しんせいじょう)が止めに入り退却する。

 

陽端和(ようたんわ)と龐煖(ほうけん) が対峙!

 

いかがだったでしょうか?いろいろと細かく考察してみましたが、今のところ対趙戦に龐煖(ほうけん)は登場していないようですので、重要なところで趙軍が危機に瀕するような展開になっていけば、

李牧(りぼく)が「あの人に出てきてもらいましょう!」のいつもの台詞で登場してくることは間違いなさそうです。

そして、龐煖(ほうけん)は妙な感を働かせ、山界で一番強いと言われている陽端和(ようたんわ)にロックオンするのではないかと予想が立つわけですよ!

 

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