【キングダム】昭王(しょうおう)『秦(しん)隆盛の礎を築く!』

   

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昭王(しょうおう:昭襄王 しょうじょうおう)

 

第28代君主であり政(せい)の3代前の秦(しん)の王。55年の在位中、そのほとんどを戦場で過ごし、秦(しん)の領土を広げたと言われる、戦の神。

並外れたカリスマ性で個性的な六大将軍たちを従え、落とした城は数知れず、自分の代では成し得なかった中華統一を王騎(おうき)を通じて次代、次々代へと託している。

王騎(おうき)を始めとして秦(しん)の国中の武人に慕われた王であり、王騎(おうき)は「中華統一に夢憧れる少年のような瞳を持った奇特な王」と語っている。

 

トピックス

 

●本人たちも親子だと知らなかった昭王(しょうおう)と摎(きょう)。しかし、目を合わせた瞬間にすべてを悟った。

●体は老いたとはいえ、死の間際まで中華統一を夢見ていた。

 

六大将軍

 

昭王(しょうおう)によって戦争の自由という特権を与えられた秦(しん)の6人の大将軍。彼らの存在によって、かつての秦(しん)は中華で最も危険な国とされ恐れられていた。

 

白起(はくき)

 

六大将軍の中で一番活躍した人物。せり出した目が常に血走っているという普通と異なり特別な姿で描かれており、

危険を冒さず、相手がムキになるほど力を抜いて勢いをかわす戦い方をするので、廉頗(れんぱ)たちからは「大将軍の中でも最もやりづらい」「正真正銘の怪物」と言われている。

長平の戦いでは秦(しん)の軍の総大将を務め、投降した趙兵40万人を、兵糧の問題と反乱の危険を理由に全員生き埋めにした。

 

司馬錯(しばさく)

 

司馬錯(しばさく)は、春秋戦国時代の秦(しん)の将軍で司馬靳(しばきん)の祖父。

恵文王(けいぶんおう)・武王(ぶおう)・昭襄王(しょうじょうおう)の3代に仕えたとされており、蜀(しょく)の併合と統治に尽力し、また楚(そ)や魏(ぎ)との戦いで武功を挙げ、秦(しん)の勢力拡大に貢献した。

 

王齕(おうこつ)

 

長く伸ばしたヒゲと顔面に斜めの傷後があるのが特徴。武器は大きなオノを使用し、六将の中で最強の怪力を持つ豪将と呼ばれている。

その昔、秦(しん)が楚(そ)へ侵攻した時に、汗明(かんめい)と一騎打ちとなったが、敗れ、撤退を余技なくされたとされている。

 

胡傷(こしょう)

 

胡傷(こしょう)または胡陽(こよう)とも記されている。中国戦国時代の秦の武将であり。他国から来て、秦(しん)の大臣となった人物とされている。

 

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摎(きょう)

 

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王騎(おうき)

 

⇒ 王騎(おうき)の詳細はこちら

 

戦神と称された昭王と六将の史実

 

六大将軍の制度を作り、戦場を駆けまわる事で中国最強の国の礎を作った伝説の人物。戦神と称された秦国王。

ただ、秦(しん)の六大将軍というのは漫画キングダムの中での呼び名で、特に王騎(おうき)に関しては恐らく、史実上の人物としては実在したのかどうか疑問が多いようです。

なお、その他の人物に関しては史実に名前がちゃんと記されています。白起(はくき)は天下の名将として、後々までその名を残しています。

当時、天下分け目の戦いと言われた長平の戦いでは、圧倒的な強さで勝利するなど、この時代の秦(しん)の勢力拡大は白起(はくき)あってのものと語り継がれています。

しかし、あまりにも武功がすごすぎて、その当時の秦(しん)の総理大臣に何かと足を引っ張られたり、

大きな戦いの度に捕虜にすると兵糧が足りなくなるからと何十万もの敵兵を生き埋めにするなどの命令が嫌になって仮病を使って戦場に出なくなり、王の命令による城に出向くことすら無視するに至って、ついに自決を命じられます。

また、白起(はくき)以外だと司馬錯(しばさく)の功績も大きいです。秦(しん)より北方の地域の平定を提案し、秦(しん)の後方生産地として統治することに成功してます。生産力の低い秦(しん)が戦線を拡大できるようになった基礎を作った人ともいえます。

そして、六大将軍と互角に戦った武将というなら、趙(ちょう)の廉頗(れんぱ)と趙奢(ちょうしゃ)をあげても良いでしょうね。

互角に戦ったというよりも、彼らがいたために秦(しん)は趙(ちょう)に攻め入る事ができなかったというのと、廉頗(れんぱ)は老年になっても長平の戦いので王騎(おうき)相手に戦線を突破されないように守り抜くことに成功しています。

結局、白起(はくき)の軍略によって廉頗(れんぱ)が前線から後退させられることで、長平の戦いは決着がつくことになります。

 

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