【キングダム】趙王・悼襄王(とうじょうおう)『本当にあんなバカ王なの?』

   

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漫画キングダムの503話で、久々に趙(ちょう)の悼襄王(とうじょうおう)が出てきましたね!

前から春平君(しゅんぺいくん)のような美形な少年が好きではありましたが、今回は裸の美少年達を風呂に控えさ奉仕させるという度肝を抜かれる登場の仕方でした。

前回の登場からの生まれつきの(悪い)くせはお変わりないようです。

では、廉頗(れんぱ)から「バカ王」と呼ばれていた悼襄王(とうじょうおう)とはどんな人物なのでしょうか?

 

悼襄王(とうじょうおう)

 

名を偃(えん)と言い、孝成王(こうせいおう)の後継として紀元前244年に王となりました。趙(ちょう)は孝成王(こうせいおう)の時代の紀元前260年に長平の戦いで秦(しん)に敗北し、栄えていた国力が徐々に衰え始めました。

その後、王として後を継いだ悼襄王(とうじょうおう)は、王になるやいなや国や主君に対して功労者の廉頗(れんぱ)を年寄りだからというだけで退けようとし、

後から入った楽乗(がくじょう)と廉頗(れんぱ)が揉め事をおこし、内乱をおこすまでなり、二人とも国外に退去するという酷い結果を招いて趙(ちょう)の国力をさらに衰えさせました。

まさに、その人の死後に贈る称号の通り悼(不安になる:悲しむべき)王なのです。悼襄王(とうじょうおう)の時代は、たったの8年で、全くと言って良いほど国力が衰えていくのを止める事すら出来ませんでした。

さらに、次に王位を継いだ幽繆王(ゆうぼくおう)の時代の紀元前228年、趙(ちょう)は秦(しん)の侵攻により滅亡して滅びます。

 

優秀な家来に恵まれ、李牧や龐煖を用いる

 

バカ王と評された一方で、国を統治することにも無関心な悼襄王(とうじょうおう)は自分は嫌いではないのですが、人材を用いるということに関しても、まったくこだわりがなく勧められるままに任命していました。

悼襄王(とうじょうおう)が大切にしていたのは、王宮内での贅沢な暮らしだけであり、国の統治などどうでもよかったのです。

紀元前244年、廉頗(れんぱ)と楽乗(がくじょう)がいなくなり力を失った趙(ちょう)の軍を補う為にのんびりと匈奴(きょうど)と戦っていた北方面守備隊長の李牧(りぼく)を用いています。

紀元前242年には、先々代の武霊王(ぶれいおう)の時代からの兵法家だった龐煖(ほうけん)を用いて攻めてきた燕(えん)の劇辛(げきしん)の2万の軍勢を迎撃し、劇辛(げきしん)の首を取ります。さらに、

紀元前241年には、龐煖(ほうけん)を将軍に据えて、趙(ちょう)・楚(そ)・魏(ぎ)・燕(えん)の四カ国の精鋭部隊を率いて秦(しん)の蕞(さい)を攻めさせています。

漫画キングダムでは李牧(りぼく)が策をめぐらし楚(そ)の春申君(しんしゅんくん)が総大将となっていましたが、結果は漫画通り蕞(さい)を落とす事はできず、代わりに兵を斉(せい)に侵攻させて饒安(よあん)を落しています。

龐煖(ほうけん)も李牧(りぼく)も、漫画キングダムでは秦(しん)にとっては手ごわい相手として登場しますから、政治に無関心な悼襄王(とうじょうおう)は得体の知れない怖い相手なのです。

 

史実上でも悼襄王はああいう好みなの?

 

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漫画キングダムの作中では美少年好きで生まれつきの(悪い)くせをお持ちの悼襄王(とうじょうおう)ですが、これは史実的にはどうなのでしょうか?

どうも、これも本当のようで、紀元前244年の話しなのですが、秦(しん)が漫画キングダムにも登場した悼襄王(とうじょうおう)のお気に入りの春平君(しゅんぺいくん)と平都君(へいとくん)を招待した事があります。

秦(しん)の総理大臣の呂不韋(ちょふい)は、二人の中で春平君(しゅんぺいくん)が悼襄王(とうじょうおう)のお気に入りだと聞き、これを交渉のネタにしようと思い、長い間戻らせないようにします。

しかし、これは悼襄王(とうじょうおう)に春平君(しゅんぺいくん)が愛されているという事をやっかんだ郎官(ろうかん)という美少年達が密かにたくらんだ悪いはかりごとでした。

つまり、素っ裸で悼襄王(とうじょうおう)にサービスしていた、あの少年達の事です。美しい顔して、汚い事をしますね!

朗君(ろうかん)達は、春平君(しゅんぺいくん)をできるだけ長く秦(しん)に留めさせて王から遠ざけ、その機に乗じて自分達が悼襄王(とうじょうおう)にひいきをしてもらおうとたくらんでいたのです。

そこに、泄鈞(せいちん)という人物が現れ呂不韋(りょふい)に、

「春平君(しゅんぺいくん)を返さないと趙(ちょう)の王の機嫌が悪くなり、逆に秦(しん)と趙(ちょう)の関係が崩れます。ここは、平都君(へいとくん)を留めて春平君(しゅんぺいくん)を帰せば、趙(ちょう)の王の機嫌元に戻り春平君(しゅんぺいくん)の言い分を聞きいれて秦(しん)の利益になるでしょう」。

こう勧めたので呂不韋(りょふい)は春平君(しゅんぺいくん)を帰しました。

泄鈞(せいちん)の思った通り、春平君(しゅんぺいくん)は自分の代わりに囚われの身となった平都君(へいとくん)の身を案じ、悼襄王(とうじょうおう)は趙国の領土を譲って、平都君(へいとくん)を取り戻したのです。

 

まとめ

 

漫画では衰え知らずの悼襄王(とうじょうおう)ですが、実は紀元前236年、王翦(おうせん)や楊端和(ようたんわ)、桓騎(かんき)が趙(ちょう)に攻め込んでいるこの年にお亡くなりになられております。

しかし、今の所、あのバカ王はピンピンしていて死にそうにもありませんね。ホント悼襄王(とうじょうおう)は典型的なダメな王ですね春平君(しゅんぺいくん)のために李牧(りぼく)を咸陽(かんよう)に送るほどですからね・・・。わかっていたことですが・・・。

こういった場合、漫画キングダムでは予期せぬ暗殺などが起こるのですが、もしかしての悼襄王(とうじょうおう)が桓騎(かんき)の策に嵌められ瞬殺なんていうオチもあるかも知れません。

次の趙王には、悼襄王(とうじょうおう)の子の幽繆王(ゆうぼくおう)が即位するのですが、そこでも主君にこびへつらう家来・郭開(かくかい)は、相変わらず権力を振い続けています。

これは、個人的な予想ですが、もしかすると何らかの原因で郭開(かくかい)の悪事が悼襄王(とうじょうおう)にバレ、首を斬られるのを恐れた郭開(かくかい)が美少年たちを策に嵌め、毒薬などを王に飲ませ、そのまま風呂で溺れさせるという形で始末してしまうとか・・・。

そういう大どんでん返しがあったりするかも知れませんね。

 

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